2010年6月16日水曜日

探求すること

「探求すること」という言葉自体が死語のようになりつつあります。今仕事に関係のない読書は原典にできうるだけ近いものをというのをテーマとして濫読しています。
 最近、徳富蘆花の随想を読みましたが、日露戦争の直後にロシア文豪のトルストイにロシア語もできず英語が少し話せる程度で徳富蘆花一人で会いに行かれているのですね。
 この徳富蘆花の訪問をロマンロランの文章の中で、日本人はたいしたことはないが日本人の中にも優れた人が居ると評価していることに感銘を受けました。
 トルストイの文章に深く触れ、感動し本人に矢も立てもたまらず会いにいかれた訳ですが、今の日本人にこれほどのことをされる方が居るのでしょうか?
 何でもインターネットで情報を仕入れられる時代にはなったのですが、薄っぺらな解釈だけで満足して、私もそうですが探求するということが無くなりましたね。
 探求するという漢字を分解すると探し求めるということですが、現代社会の人は本当に探し求めることが無くなったのでしょうか?
 いやそうではなく一つの物事に時間をかけて判断するということができなくなった。逆に、早く判断して実行することが求められ、まず実行してから修正するというやり方に変わってしまったからではないでしょうか?
 結果として心の耐性が無くなり、所謂「切れる(短絡的な意味での)」人が増え、気に病んでは鬱病となってしまう人が増えてしまうのではないでしょうか?
 このブログも実は探求ではない表面のみの思考かもしれません。
 

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